2008年7月11日金曜日

日本語

世田谷区の小中学校には、『日本語』という授業があります。

国語とはまた別に、総合学習の時間を使っています。

小学校では、『日本語』という教科書を使って、主に、俳句、詩、漢詩などのリズムを味わおうという目的で授業が行われています。

中学校になると、教科書が『表現』『日本文化』『哲学』の3つに分かれて、それぞれ、自分の意見を伝える能力、自分の生活に照らして日本の文化を理解する能力、自分の生について見つめる能力の育成を目指します。


『外国語』の授業が注目される中での、この選択と決断をみなさんはどう考えますか?

『外国語』はあくまでもコミュニケーションのためのツール、それに対して、『母語』は、自分の意見、考えを表すための「リソース」としての言葉を提供してくれると僕は思うのです。

自分の意見を、適切な言葉で、豊かに表現できるようになることが、子どものうちにまず必要なのではないでしょうか?
 
『萌黄色』『茜空』色の微妙な違いに目を向けるだけで、目の前の世界がもっと豊かになるのではないでしょうか。

僕はそんな気がします。

学力論では今、「算数」「国語」の基礎強化の充実を唱える方が多いです。

苅谷先生がよくおっしゃる、「ポジティブリスト」で教育を考えることはできないということ。
(導入するものがあれば、弾かれるものがあるということをしっかり認識すること)
その点をよく考えて、判断を下せるようになりたいものです。



そして、わたしらmics、この『日本語』の授業にTAとして参加させていただけないかと、現在世田谷区に打診中であります。

生徒の学ぶきっかけ作りに少しでも協力できれば、それを通じて自分たちも学ぶことができれば(笑)

いいお返事が来ることを祈って、今日はさよなら☆

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