2008年11月30日日曜日

おけいこごと

お久しぶりです!えがみです♪

喜多下くんが真面目な本のレビューなど書いてくれていますが、
その流れをぶったぎって(ごめんなさいw)、今回私が最近考えていることを書かせてもらおうと思います。

題名のとおり、「おけいこごと」について。
最近少子化の影響もあってか、「お稽古ごと」が流行っているようです。
特にリッチな家庭の子供など、
「インターナショナルスクールで育て、バイオリン、ピアノ、英語、フランス語、バレエ、水泳を習わせています」(実話)
といったことも最近ではよくある話のよう。
ただ、私は
「そんなに身に付くのか?!」とつっこみたくなってしまいます笑。
自分のことを振り返ってみても思うのですが、お稽古ってやればやるだけ全て身に付いていくものではなく、
逆にひとつのことに深く取り組み、極めていく方がどちらかと言えば重要なのじゃないかと思うのです。

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私は幼少時から実にいろんなおけいこごとを習って(習わされて?)きました。
ダンス、英会話、水泳、ピアノ、バイオリン、テニス、習字、お絵かき、ミュージカル、コーラスなど。
ただ、自分の核をつくったものといえばやはりバイオリンに尽きると思います。
他のものはまぁ一応習ってはいたものの、必死にもならずに中途半端で、今その際に身に付けたことが活きているとは到底思えないという寂しい状況です(笑)

ただ、バイオリンだけは幼少時に「鈴木メソード(http://www.suzukimethod.or.jp/)」の近所の教室で習いはじめてからずっと、
一番一生懸命私の子ども時代を捧げたお稽古ごとだったと思います。
今は楽器を弾くこともほとんどなくなってしまいましたが、その時がんばったこと、身に付けたものは今でも自分の核となって
自分の人格を形成しているものになっていると思えるんです。
例えば、その教室では、小さくてまだ自分の楽器を持たせてもらえなかったころ、上級生が弾くのを数時間座って聴くことができるようになることを求められ
何故か小林一茶の俳句(亡き鈴木先生が好きだったらしい)100句を暗誦させられたり
楽器を持てるようになった段階でも小一時間ほどただ立って構えさせられているだけだったり
そんなつまらない時期を経て
やっと楽器を弾かせてもらえるようになり
毎日1時間半の自宅での練習は休まず、
うまくなってきたら合奏で下級生に教えるようになったり
先生や親に時には理不尽に怒られたり褒められたりしながら
だんだん上手になり、楽しくなっていく(勿論家での練習は大嫌い)という
長い長い過程を歩んでいくわけなんです。
こんなこと、ちょっとやそっとの思いつきではできないことだと思います。
ただ、これほどに一つのことに時間と体力を裂いたことは、
私にとってとても有意義だったのではないかと思っています。
何かを真剣に身に付けようとする過程では、
根性や忍耐力、そしてもちろん努力が必要。
いくらセンスが良い人でも、それにかける時間が極端に短くてぱっと上達する人なんてこの世に存在しません。
というより、センスの良い人は、そのことが好きで、それだけ人一倍時間を掛けているはず。
私のような凡人の場合では、怒られても嫌でも、とにかく継続して、
はじめて身に付けようとしたものがある程度自分の思うようにこなせるようになるまでに
10年単位の時間が必要です。
でも、いくら時間をかけてでも一度そのように物事を真剣に身に付けた経験があると、
その後、他のことに取り組む際にもその感覚を応用できると思うのです。
まず、一つのことを身に付け、一生懸命やったという自信(それが勉強でも音楽でもスポーツでも特に関係ない)
をもつことには結構大きな意義があるように感じます。
また、上達の過程、そこまでの努力がどれだけ必要なのか。
そして逆に、努力を続ければ成果はでるということ。
それがわかっていれば、人生の中で他にやり遂げたいことが出てきたときにも、
自分で身に付けたいと思うことが出てきたときにも、
がんばろうと思える力がでてくるのではないでしょうか?

私はだから、お稽古とは人が生きてゆく上での「姿勢」を身に付けるための一つの手段だと捉えています。
習ったもの自体が将来役立つか、というのは2の次。
(というか、楽器やスポーツなどは特に、習う過程でとてもお金がかかるにも関わらず、その技術で生計をたてられる人などごく僅か・・・という悲しい感じなのです笑)
そのお稽古を通して、人として、何を身に付けたのか
そして人として成長できたという場合においてのみ、「お稽古」の意義はあると言えるのではないのかなぁと
今は考えています。

多きに手を出すよりも、一つを深く。
一つを追究してみることで、「生きる姿勢」を身に付ける。
そしてこれこそがお稽古ごとを習わせる上で、一番大切なことなのではないでしょうか。


とはいえ自分がいざ子どもを育てる段階になるとあれやこれやと欲張りになってしまいそうな私ですが・・・笑
ではでは長くなりましたが今日はこのへんで失礼します!
!hasta luego!

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